(2014年7月15日、F.OUNDサイトに掲載されたロングインタビューの和訳です。
数社の翻訳フィルタを使い、スマホ等でも読みやすくする為に
原本とは違う箇所で改行や句読点を加えたり、意訳の部分もあります、ご了承ください。)


 
TAEYANGインタビュー
テヤン 一歩、二歩(2014.7.15)

(F.OUND) 編集者:ソ・オクソン
2014年7月15日
 
 




太陽が2枚目のソロアルバムをリリースした。





どのように過ごしてましたか?

最近ですか?



あ…今まで(笑)

あぁ…この4年間アルバムの作業ばかりしてましたね。



旅行に行ったように思いましたが。

その旅行も音楽の作業の為に行ったんです。
向こうのプロデューサー達に会い、曲の作業をしてきました。



旅行に行って、旅先で出会ったとかじゃなく?

(その人達に)会うついでに旅行をしたまでのことです。
最初はそうしたくてアルバムをまた作りたくなりました。

韓国にいると、必ず他の仕事が入る。
だから外に出て自由に作業してみたらどうだろう?
拘束されずに、やりたいように作ってみたい!!って。
もちろん、制作作業の詰めには、今までと同様のプロセスを繰り返さなくちゃいけないけど、作業自体はすごく楽しかったです。



以前のアルバム活動が終ってすぐに、次のアルバムを作ろうという考えがあったんですか?

ううん。



どうして?

あの時の記憶、大変な作業の記憶がしきりに浮かんだから。
音楽を、音楽として聞くことができなかった。
もちろん一生懸命に作ったアルバムでした。
昨年、いったん最後まで聞いてみたら、改めてそう思ったんです。



意外ですね。

でしょ?



とてもいいアルバムだったから、作った人も楽しんでると思ってました。
聴くたびに胸がいっぱいになるし誇らしくて。


胸がいっぱいにはなりました。
だけど、他人の音楽を聴くような感覚では楽しんで聴くことはできなかったんです。
今は違いますよ。



今回のアルバムも簡単に出来たわけではないでしょ?

そうです。



どうして、なんでこんな安らかでいられると思いますか?

安らかというよりは、なんていうか・・・
今の僕に今与えられたもの、僕が今できることに最善を尽くしたいという想いが一番あります。

以前のアルバム活動を終えた時、
「僕にまたこんなチャンスが来るんだろうか、僕はまたアルバムを出す事ができるんだろうか。」
と思ったし、実際、今回のアルバムは前回よりもっと大変な事が多かったんです。

2枚目のアルバムを作らなきゃという考えは全く持たずにテディ兄貴とロサンゼルスに向かい、偶然クリス・ブラウンのスタジオに遊びに行ったんです。
そこで大変なインスピレーションを受けました。

彼らの制作作業の方法は本当に自由奔放で、彼らさえもアルバム収録に関係なく情熱的に作業しているのを目の当たりにして、
「あぁ、僕はこういうのを望んでたんだ・・・」と。
アルバムを出さなくちゃという強迫観念から抜け出し、僕が音楽を素直に感じながらやってみようと。

そんな風にアルバム作業をしなくちゃと心に決めて韓国に戻り、PEEJAY兄貴がYG社屋に遊びに来た時にイントロを聴かせました。
そこからアルバムの全体的なサウンドと方向性が浮かび上がってきたんです。
「RISE(アルバム1曲目)」がこの作業の最初に録音した曲でもあり、アルバム作業のスタートでもありましたね。




テヤンとの最初のインタビュー録音ファイルはここで終わりである。

6月12日はMネットの音楽番組「M Count Down」にてテヤンのカムバック放送があった日、待合室は文字通り「カオス」で、カムバックとともに1位候補に上がったテヤンは人よりもっと忙しくて落ち着かない待ち時間を送らなければならなかった。
質問したい事がもっとある私は動揺し、返事する準備ができたテヤンに詫びた。

いろいろな交渉?の末に、再びテヤンと会ったのはそれから3時間が過ぎた時刻、弘大前の静かなカフェだった。
テヤンはその間に服を着替え、また別のインタビューを1つ終えてきていた。
午後に数多くの質問責めを受けた人物にしては相当エネルギーがあふれていた彼を席に座らせると、やっと本当に話を聞くことができると思った。

インタビューは、彼のアメリカ旅行についての質問から再開した。








UnderDogsに会った時の話を聞かせて下さい。

最初は本当にランダムに作業をしに行きました。
アルバムをどうやって作ろうか模索していたところ、僕が好きな曲の中にUnderDogsの曲が多くありました。

サイトを調べメールアドレスを発見し、何も考えずにメールを送ってみました。
韓国にこんなアーティストがいます、あなたの音楽が好きなんです、と。
すぐに返事が来たので会いに行き、その作業以降、アメリカで様々なプロデューサーの方々に会い、セッションを続けました。



他のプロデューサー達とも録音をいろいろ終わらせたのでしょう?
その中でアルバムに収録されたのは結局「Love You To Death」一曲しかないわけで、残りの曲はどんなだったのか知りたいです。言葉でも説明をしてください。


UnderDogsの曲は本当に彼を代表するサウンドだったです。
残念ながら、それらの作業を終えてから時間が長く経ちすぎてしまった。
その当時にリリースできたらよかったけど。




曲がひとり年をとってしまったということなんですね。
そのプロデューサー達とは方向性やこのような部分についてどんな話を交わしたんですか?


最初は彼らのサウンドが好きで行ったわけじゃないですか。
僕が何かを導くというよりも、彼らの作ったサウンドを僕がしたかったんです。

今すべて出した後の素直な感想は、
海外のプロデューサーと作業をするという事は、得も損も同じくらいに多いということです。

あるプロデューサーとは、作業をして多くの失望をしました。
音楽をするというよりも、ビジネスをするという印象が強い人だったんです。

僕はまぁ、曲を収録しようがしまいが、彼らともっとたくさんセッションして、僕ももっと学んで、僕の音楽的な部分ももっと発展させたいと思ったのに、相手の立場はそうではなかったんです。
韓国で有名な歌手だから一回作業してみよっか、こんな感じだったのかな?


Happy Perezさんの場合は、僕が当時とても好きだったプロデューサーだったんですが、偶然知ってるという方が連絡をとってくれて、とても良い時間を過ごすことができました。
自分の歌を自分らしく歌う人と誰かの間で、自分だけの確かなサウンドを最大限合わせて良い曲を書こうとするスタイルなんです。

彼とは5日間セッションしながら10曲作りました。
当時僕が本当に好きだったスタイルばかりを作りました。
これなら僕も満足。
僕好みのサウンドだしこのままアルバムとして出してもいいと思えた。

その際ソングライターとして手伝ってくれた友達が、Cocaine80'sやBritt Burtonです、とてもたくさん助けてくれました。
アメリカではセッションを持つだけでもお金を払わないといけないけど、彼らはいらないというんです。
最初は一緒にやってみようという感じでした。




彼らはどんなことを期待してたんでしょう?

アジアという市場でテヤンいう歌手がどんなポジションにあって、そんなテヤンが一緒に作業をしたがってる・・・それ自体が彼らにもいい機会だと思ったようです。

曲を売ろうという心で作ってない分、HappyPerezさんの曲に愛着が湧いたのも事実です。
最後にアルバムに入るトラックを選ぶ時、他はどうであれHappy Perezさんの曲はどうしても入れたかったんです。



アメリカで作業しているという噂をずっと聞いていたので、多くの曲がアメリカのプロデューサーたちの曲だと期待していました。
でも結局発売されたアルバムは、YGプロデューサー達の名前が一番多いですよね。
その理由は?


音楽的な方向です。
曲の作業は僕がしても、アルバムが実際に出るには会社とのコミュニケーションがあり、その過程でいくつかの意見が出ました。
僕も最後は、大きな欲を出さずに「Love You To Death」は入れたいといいました。

他の曲をぜんぶ合わせると、他の正規アルバムが作れるくらい多くの作業をしたが、結果的にこんな感じになりました。



外部のプロデューサーたちと作業しながら、どんなインスピレーションやアイディアを得ましたか?

あんまりにも多いけど、その中で一番大きいのは、やっぱり僕が開くことができるドアは本当に多いんだなと・・・。

今回のアルバムにも全てを盛り込めなかった悔しさは大きいです。
違うか、あれらの曲をするには僕はまだまだ未熟だと感じたというのが本音ですね。

僕が作ってきた曲を会社が最初に聞いて、選び抜くという意思決定に至るまでには、ジャンルの件やサウンドの件など全てを取り去って、彼らの耳を惹きつけ魅了できなければいけないのに、そこまでに至らなかったのですから。
今回のアルバムに対して物足りなさを言うのなら、僕がやってのけることができなかた部分の物足りなさなんです。

正直、Choice37と一緒に、HappyPerezと仕事をして戻ってきた時、僕とChoice37兄貴はとても満足でした。
アルバムが出てもいないのに、録音した10曲を持ってロサンゼルスを歩きまわりながら延々と曲をかけっぱなしwww
って、アメリカの子達もこんな事しないのに僕達はしてたwww
人より半歩リードしたという想いが僕達を浮かれさせてた(笑)



Choice37さんはどんな人?

「Solar」を作成した時にイントロ曲で助けてもらいましたが、その時には兄貴がYGに入ったばかりの時で、お互いをよく知らなかったんです。

今では僕と音楽的な情報なども最も多くを共有してくれる人です。
今回のアルバムを起動するために多大な影響を与えてくれた人です。
その兄貴は、実際に音楽を沢山聴いて、またディープな音楽が好きです。
そんな曲を聴かせてくれて、それがまたとても良かったんですよ。



あぁ…それで2人して遠くに出向いていったんだね、そうですね?

そんな部分はありますね。
最初は2人での作業もたくさんしてましたが、その曲はヒョンソク兄さん(ヤンサのこと?w)からたくさん苦言をもらいました。
音楽がとても暗くて冷たいと。

その頃、アメリカでも興行してなかったPBR&Bジャンルのミックステープを聞いて、僕たちは思ったんです。
これだ、これが次の扉だよ、素敵な音楽だと。
4年程前もありませんでしたか。
R&Bが人気を集めた後、なぜかミディアムテンポのそんな感じが下火になる時期?



そうですね、最近聞いてみると「Solar」は、R&Bの頂点が限界に達してその最後の流れで出てきたアルバムにも思えますね。
その時からすでに、R&Bのミュージシャンがエレクトロニックビットを持ってたってことですか?


そう。
ヒップホップに向かうにも微妙なそんな時だった。
他人がしてない事をしたかった、その時そのミックステープが僕にいくつかの道を与えてくれたんだと思いました。
とても大きな気持ちでした。



その音楽を聞いてすごく興奮したんだね。いまその話をするだけでも、こんなにエキサイティングするくらいだもの(笑)

ワハハ。
いや本当、その時は本当に僕がこれをしなくちゃってwww
完全にこれだと作業に入りました。

でもいくらなんでもその音楽は、当時会社では受け入れにくかったんだと思います。
今でも難しいのに、4年前にそんな音楽をしようとしてたから、どれほど理解してもらえないだろうって。
また、考えてみたら当時その音楽は、アメリカでも興行する前だったから・・・
本当に凄い先に行ってたんです僕達2人はwww



「RINGA LINGA」については色々な話が既にたくさん出てるから、さらに聞いたほうがいいのかどうか

それはもういいんじゃない、今は。



テヤンぽくない、という言葉をたくさん聞きましたね。

多分ジヨンが曲を作ったからそんな話が出たんだろうね。



時期的にもG-DRAGONの活動が終わった時期と重なったイメージがあります。
しかしあの曲が出る前後に、テヤンが持ってるいくつかの面が外に表れ始めたと感じました。
荒い面、暗い面、過激な面みたいのが、以前よりもっと果敢に出てたように思うんです。
あの時期、どんな変化があったのか気になります。


どんな事でも新しく行うということは、充分な勇気を身につけて出ていくんです。
僕が出た時、ぎこちないようではいけません。
あの時期、もう僕のそんな姿を見せてもいいと思う準備ができたという気持ちになっていたのは事実です。
あれもまた僕の持った姿の一つであることは確実ですしね。

過去のアルバム活動では、良い評価を受けようとしていくつかの枠に閉じ込められる可能性があると考えながら、 僕の中にある何か新しいものを引き出していかないと、という考えが強かったんです、これまで。



いつもそう思ってはいたけど見せてはくれなかったと。

はい。



アルバムの中での印象は、曲を別々に聞いた時よりもはるかにいいです。トラックの順番にはたくさん悩みましたか?

今回のアルバム作業しながら一番大変だった部分でもありますね。

以前のアルバムの時には、大きなコンセプトがあって1曲1曲が統一性を持っていて、完成度が高いアルバムを出そうと欲張っていました。

今回は準備期間が長くて、披露する曲たちもとても多様で、どう合わせても変な部分が少しあるんですよ。
それでもこうして今出ているトラックリストが一番よかったです。

1つだけ確かなことがありました。
最初の曲は「Rise」で、最後は「Love You To Death」であること。
最初と最後は、僕をより確実に見せたかった。



イントロ曲が昔の感じがして、その後にあれこれと描かれて進行される流れも悪くないと思いますが。

「捨てて」も3年前に作った曲です。
あのような歌を作ろうとした時期ではなかったんです。
作業途中に帰宅しようとしたら、DEE.P兄貴の部屋でインストゥルメンタルが聴こえてきたんです。
メロディーを歌ってみたら良かったみたいですぐにデモを録音しました。
兄貴たちも、良いよこれは今までお前がしてきたのとは違って凄い良い曲である感じがする、と。



へぇ・・・そういうのって、なんか自分たち同士でも好きな感じがするとかいうんですか?(笑)

ハハハ。
とにかくスケールがちょっと大きい感じの曲じゃないですか。
僕もまた、ああそうですねとか言いながらwww
そんな曲にタブロ兄貴が歌詞をつけなければいけなく、歌詞もすぐに出てきました。

ですが最初は反応があまり良くなかったです。
ヒョンソク兄さんは、とても地味だというが、一方でテディ兄貴とジヨンはとても良いと。
それで反応がちょっと整理されてアルバムに入れる事になりました。



以前のアルバムの後、コラボしたいという人達が多かったはずなのに、客演がありませんね。

作業を終えてみたら、フューチャリングが1つもなかったです。
意識したわけでもないんですが。
tぐ アルバムに何か問題は無いか、という意見があり悩んだ末に「捨てて」を持ってチョー・ヨンピル先生を訪ねました。
これまでチョー・ヨンピル先生のような昔の曲をたくさん聞いて、雰囲気もよく合いそうだったけど、時間があまりにも不足して、結局実現しませんでした。

私も急いでました。
結局ジヨンと一緒に作業した曲を作って入れる事になりましたが、必ずジヨンとやらなければいけないというわけではなく、たまたまじよんがずっとスタジオにいたから、可能だったジヨンがそこにいてそうなっただけで。
最初から他の人とやるにはちょっと難しい部分があったりしました。



収録された曲に特に不満はありません。ただ、多くの曲を作業したのに収録が9曲だけだという点だけがやはり残念です。

僕もです。



だけど残りの曲は収録するのはやめようという意見にすぐなったんですね。
満たす事よりも空きを作るほうが大変だと思います。
空きを作らなければいけない必要がありますか、僕一人で決断できないなら他の人がしてくれるでしょうけど。


本当に最後にトラックを決める時は大変でした。
9曲ってちょっと変じゃないかって。
あと2曲多く入れてみようとか。
ですが実際には最終的な決定の時点でこれが一番良い気がしたんです。
準備した期間が長いからってたくさん入れようとは思わずに、長い準備したためにも、たくさん選び抜く必要があると思いました。



それでもリパッケージ盤で、一つの記念に出してくれたらありがたいな。

そんな事もよく言われますよwww



実際、作業期間が長くなって途中にこんな考えはしませんでしたか?
2年目のジンクス、という評価を聞いて、反応が良くなくても2集をさっと出してしまって、すぐまた3集の作業に入らなくちゃって。


そのような考えは僕もしなかったわけではありません。
アルバムがあまりにも進まずに大変だったからあえてここまでする価値がありました。

さっきも言ったけど、最初の目標は、しなかったことをする・新しい扉を開けてみる、ということだったのですが、そうだとアルバムを出す事ができない状況だったんです。
僕のアルバムを出すためには今までしなかったいくつかの事を受け入れなければいけないけど、それをすればするほど難しくなるでしょう。
もう出せないんじゃないかって。
その頃には本当に僕は、こんなに大変な作業をしてまで価値あるアルバムを作っているという確信が持てませんでした。

でも、それならとにかく出そうと。
まず出してから、どんな反応でも受け入れてみようと。
良ければ良いだし、悪ければそれを受け入れて学べばいい、出して次の準備をしようと。



今出てきたのはどこですか(笑)

ですからwww



死ぬほど努力して目標を達成する前までアルバムを出さない、よりも、一人心に留めておいて出さない音楽を作ろうとか、そんな思いもしましたか。

あ、いえいえ。断言します。
その部分においては僕も多くの成長をしました。
もうそういう思いは無いです。



レビューはちょっと見たりしましたか?

過去のアルバムは、僕がしたかったことを望んだとおりにしました。
また、そのタイミングは会社でもやりたい通りに全部できるようにしてくれたので、あえてレビューを見ようとは思いませんでした。
人々の言葉を気にしないくらい自分では良かったからです。

でも、それは今回のアルバムを作る時に悪影響を与えたと思います。
木の前に立って森を見ないまま僕は正しいと言い張った。
だからあまりにも深みにハマり、長くかかりました。
今回のアルバムが出るまでに、他のいくつかの意見をたくさん受け入れなければならなかったので、聞き手の話も読んでおく必要がありました。

以前の僕の姿をすごく好きだった人たちは失望し、その反面僕を新たに見てくれる人もたくさんできました。
予想した事ですし、僕には大きな利益だと思っています。



テヤンの可能性、能力といったことを知っているために酷評することができない部分もあります。
評論するという人さえも自分たちの期待に応えられなかっただけで、またこれといった欠点の部分もないから。


以前のアルバムの時の僕をとても喜んでくれているなら、それもあると思います。
理解してます。



しかし、次のレベルに行くには後ろに置いて出発しなければいけませんね。

そうですね。











以前、「りんごの箱に乗ってでも歌いたい」って言葉を言ってましたよね。
これは、4年前に私と会った時に、路頭にマイクをひとつ置いて歌いたいとおっしゃってた時の気持ちと変わってないんですね。


心ではいつもそんな事に憧れてるようです。
僕はよく知られてる歌手だけど、華やかな舞台にあがる歌手である前に、とても好きで音楽をやってる人間だから、どこででも歌いたいんです。

僕の今いるポジションや状況が理由でできない事が多いから、そんなことには縛られずにできる人を見たら羨ましいです。
彼らのそんな自由さが。



それでも今度ゲリラコンサートすると聞きましたよ。

そんな部分が反映されたみたいです。



そんな希望を一貫してずっと言ってるから、会社も何かしてあげなくちゃ、って思ったんでしょうに(笑)

ハハハ。
そうかも知れませんね。
少しそんな気が(笑)



コンサートを待っている人も多いでしょうに、今はまだ日本ツアーの日程しか出てない状態です。
どうして?


日本ツアーは実際に僕がしようと企画したものです。
韓国公演はまだできそうになかったから、それならまず日本のツアーをさきにやろうと。
そして完成された公演として、韓国で行うことができるから。



以前のアルバムを出した際には、パフォーマンスしすぎて、見てる側からもちょっと疲れたように見受けられた時がありました。
その時言いましたよね、できるからと。
今はそんな様子はが全くありません。
変わった理由は何ですか。


理由はシンプルです。
僕は僕が格好いいと思ったことをしたんです。
音楽を表現することにおいて継続してそんなことをするというのが無意味だと思いました。

もちろん曲によっては、実際に曲をよりよく理解できるように助けてくれるものでもありますが、それがすべてじゃない、ということをその後に自覚しました。

作業をもっとやってみて、公演をたくさんしてみると分かるんですよ。
実際にその時のそのパフォーマンスに固執した放送をたくさんしてそうだったと思います。
ちゃんと準備しておけば放送に良く表れるから。



カムバック放送だった「人気歌謡」でもコンサート舞台と同様ですよね。
なんだか大御所のように見えますが、実際見ると楽しそうです。
オシャレでもあり、4年の変化がそこでも感じられます。
カメラの前に立って歌う事も楽しくなりましたか。


たくさんですよね。
放送だからいろいろ良くしなければならないけど、もう僕を拘束するものはありません。



4年前にはあったが、今は無いものは?

無知。



ハハハハ(笑)

いやまじで当時は、何かわからなくて聞きたい事があれば無条件に全てを問わずにはいられない、そんな無知さがありました。
今はかなりなくなりました。
あえてそうしなくてもいいし、僕は違う方法でもできるということを知ったから。
もちろんその時の果敢さは忘れないです。
情熱を持ってもダメだった時に気が狂うほど難しく思うのはもうやめようと。



本人がそんなだと周囲の人達はとても大変でしょうね。
他人がやってあげれる事ではないし、一人ではとても苦しい。
しかしその時のテヤンがあったから今こうして話す事ができるのでしょうね。


はい。
それでもっと多くの周辺をとりまとめようとしています。
過去4年間で最も多く感じたのが周囲の人々への感謝の気持ち、大切さでもあります。
以前はそれを当たり前のように思ってたけど、実際はそれ無しでは僕も存在しないから。
少し年を重ねて、その大切さを肌で感じています。






多くの人々は、テヤンとG-DRAGONは完全に異なるスタイルだと思ってるでしょうが、実際はそうではないんでしょ?

そうです。



友達という間柄ではなく、音楽をする者同士としての関係はどうですか。
2人が仕事部屋でどんな話をするか知りたいです。


いつもたくさんの話をします。
誰かの新譜が出たら一緒に聞いて、カッコイイ、良いという話や批評もする。
ジヨンが作った曲を聞いて、僕は似た方法でフィードバックします。
好きなものは似てるけど、向かう方法が違います。
だから違うように見えるけど、似てることも多いです。



2人のアルバムが出せたらいいですね。
あえてアルバムということも、かなり多くの作業を共にしてきているでしょうから。


僕たち同士でもそんな話が出ます。
カッコ良くっていうのも必要だけど、2人がやるなら本当に良くしなくちゃって。
やりたい気持ちもあるけど、今はすることがあまりにも多い。
後で良いタイミングが来るでしょう。



BIGBANGのテヤンが見るBIGBANGの未来はどうですか?
去年ジードラゴンにインタビューした時、率直しすぎて少し驚いたけど、同じ質問に対するテヤンの返事も気になります。


僕もどうなるかわかりません。
BIGBANGはとても良い位置にいるけど、これがどうなっていくかなんて知ることはできないでしょう。

今ちょうどBIGBANGのアルバム作業を始めているけど、わからなかったりしてます。
人々の期待があり、自分たちの目の高さがある。
やりたいことをしながら、大衆を無視することはできないから、そのバランスを合わせるのが簡単じゃないです。
どんな方向に向かうかは作業をしてみなければわかりません。

今後2年、軍隊に行くまでは無条件に最善を尽くそうとジヨンと話しました。
その先は、その次に悩めばいい。



その中で5人が個々に活動した部分があったので、5つの個性が別々に遊ぶアルバムができるのではないかという心配はあります。

そうですね。
僕個人的には、今までBIGBANGの音楽的な方向はジヨンが握ってきました。

今は音楽的に最も活発に活動してるのが僕とジヨンだから、どうしても僕達2人の色がより出るのではと思ってます。
今の作業も2人で始めています。



BIGBANGは大衆のスターとして何点を得ることができそうですか?

たくさんの点数。
BIGBANGというグループは、音楽的に、大衆的に多くのコンテンツを与えたと思っています。



テヤンとしてはどうですか。

まだよく分からない。tぐ 時間が経ってみなければわからないようです。
僕は自分自身をこうだ、というにはまだまだ曖昧です。



確立されていない何かがあるんですか?

はい。僕が見た分には。



最もテヤンらしいことは何だと思いますか。

こんな言葉が似合うか分からないんですけど、自然のままの純粋さと、実直さ。



真剣てこと?

真実というのとはちょっと違うかも、それは。
僕はもっと率直な方の。





アルバムの話をしばらくし、今までの4年間に変わったことや積み重ねてきた事の話をしながら、アンケートに書かれた1つの質問を残して、悩んだ。

聞いてみようか、やめようか・・・。
不快な質問ではないだろうか、そう私が悩んだのは、彼の恋愛についての質問だった。
恋愛についてはとてもハタチを越えた人とは思えないような考えを持っている彼だったが、「目・鼻・口」は経験談のようである。

以前のインタビューで、絶対に質問しないと約束した恋愛話を、今度は絶対質問してみたいと思ったのは、彼が誰とどんな恋愛をしたのか知りたいんじゃなくて、その事によって愛は彼をどのように変化させたのかがとても気になったからだ。
結局、恋愛をしたのかという質問をした瞬間、ほんの一瞬『ああ、わけもなく聞いたのか?』と思った理由は、彼の顔を見て通りすぎたいくつかの感情のせいだ。
過ぎ去った愛の記憶を持ってる人なら難しくないように読みとる事ができる感情の流れである。




恋愛をしたのですね、それで。

しました。
それでできた曲が「目、鼻、口」です。



その感情が過ぎ去ってどんな変化がありましたか?

うーん…別れましたが、良い影響が多いみたい…です。
何て言うか…以前の僕はああだったじゃないですか。
したいことがあるから辺りを見る暇もなく恋愛もいらない、遊びたいとも思わない。

でも結局そうした行為自体が音楽人にとっては癌のような要素だったみたいです。
感情を表現しなくちゃいけないなら経験をしてその感情を感じなければならないのに、僕はあまりにも知らなかった。
感情が固まっているようでした。
歌はただの歌ではなく、ダンスはただのダンスではない。
感じて、表現し、継続して柔軟でいなければならないのに、しきりにテクニックに走っていました。
恋人を必要とし、恋愛をしなくちゃって、こんな感じだろうというよりは、その感情をいつも感じなければいけないし、受け入れなければならなかったということを今はわかっています。



もう小言はあまり言われなくなったんですね。兄さん姉さん達がまるで何か使命感を持った人たちみたいに外に出て興奮したり女性に会えって、それが何だと言ってたのに(笑)

当時は理解ができませんでした。
僕は今これがしたいし、一生懸命やってるのに、なんでみんな僕にそう言うんだって(笑)
必要ないって!www
今になって考えてみると、していたつもりではなく、よりよくあるためにって事だったんだと。理解できます。



だから、「目・鼻・口」はとても悲しいです。

本当の気持ちだからね。



20代初めにすぐに30才になるという話したが、今はそれがとても具体的な数字になりました。

20代前半には他人事のように感じたし、中盤には年を取るのを恐れていたけど、今は楽しみです。
どうなるか分からないけど、新たなスタート、その時に繰り広げられる何かが楽しみです。



経験した限りでは、確かに良くなりますよ。
以前のアルバムにあった少年のイメージはもう無いくらい大人っぽくなり、また大人にしてくれるでしょう。
このような状態であれば、はるかにうまくやっていけるはず。


僕もそんな感じがします。
僕は学びたくても学べなかった事、果実がどうやって実ができるのかと同じように、時間が過ぎれば自然と悟るようになるみたいです。
時間がたてば熟成するのでしょうね。
言葉ではカンタンに大人になっても本当に簡単ではない。
ワインのように、時間が経つほど深まって濃い香りを持った人になりたいです。
むなしく年を取る人にはなりたくないです。



(君にとって)不滅の音楽はありますか?

うーん…マイケル・ジャクソン。
本当に彼について勉強もたくさんしたし、依然としてしているところです。
まだ聴いた事の無い隠れた曲があります。
聴く度にとても多くののエモーションをもたらしてくれるアーティストです。
同じ曲でも時間が経ってから聴くとまた違って聞こえたりしますが、僕も音楽をしてるから、それがどれほど偉大な事かをずっと感じています。



そういえばマイケル・ジャクソンの新しいアルバムをどのように聴いているか気になりました。

よく聴いてます。
最初はこのようなものをあえて発売をしなければならないか、と思ったりしました。
僕も歌手だから感じる部分ですが、僕が完成しなかった曲を誰かに聴かせるというのはとても不快だと思ったんです。
人々が聴く事を望み好んだとしても鋭敏な部分です。
マイケルはここにいません。
アルバムが出るという話を聞いて彼が生きていたら、このような音源を発売することを果たして好んだのだろうか。
全体的にデモだろうから、この人達は酷いな、なんでこんな事までしなくちゃいけないんだ?って。

でも実際にアルバムが出てデラックスバージョンを聞いたら、どうしよう、すごく良い。
声だけ聞いてもすっごく良い。
それでマイケル・ジャクソンにも、このようなカタチでアルバムを出してくれた人々にも感謝の気持ちが大きいです、今は。



今日カムバックし初めて1位になりましたね。
ちょっと決まり文句ですが、どんな気持ちか聞いてみようかと(笑)


ただそうですよ(笑)
僕がよくやったから獲った、という考えはあまりないけど、 僕が貰うべきではないんじゃないか、という想いはあります。
長く悩んで出した分、愛をたくさん受けなくちゃ、という思いにはならなかったんです。
何でも頂けるなら良い事ですが。



あ、またそんな思いがありますか

だから、必ずもらわないと!というよりも、「もらわなくちゃ・・・」



ああ、そうか。本当に苦労してできたアルバムなんですね。

うん。
今までやったことのないとても大きな試みで出したから。
まだなんていうか。
僕という人間、テヤンというアーティストを置いて見た時は、もう少し長い目で見ないといけません。
やらなくちゃいけない事があります。
僕が見てもこのアルバム以降の方向性が定まっていなかったから。



時間をもっとかけてもいいから、ただ歌は続けなくちゃ。

わかってる(笑)



今はどんな風に思ってますか。

またさっきの話に戻るけど、デビュー当初も今も、たくさんのの人々の前で歌いたいです。
それは変わっていません。

スタジアムでの公演をいつも夢見ています。
そして、僕が情熱を失わず、いつも瞬間瞬間を感じながら音楽をして、継続して多くの人たちに聴かせたいです。

今やりたいことの全部はやってません。
少し不足してます。
だから今最善を尽くします。
本当にやりたいことは、今こうしていればできるだろうから。
100でやるべき事を、200でやり遂げたい理由がそこにあります。



音楽以外にしたいことはないですか。

旅行をしたいです。
たくさんしたいです。



旅行に行ってまた仕事をしようとしてるでしょ?(笑)

違いますよ(笑)
行った事の無い場所、たくさん行ってみたいです。
チベット、インド、ブラジル。
今はこの3ヶ国に一番行きたい。



今日がどんな記憶になるでしょう。

石橋を渡るという例えでいえば。
以前はフラつく足で苦労して進んでいる感じでしたが、今はとても遅いけど、一歩一歩踏みしめて進んでいる思いです。
時間が過ぎて、今日を振り返った時、私が水に溺れることなく、よく踏み入れられた。
こんな気持ちで振り返りたいですね。
 
 
 
 
インタビューは終わった。

最初から、テヤンの2枚目のアルバム作業を記録しておこうと欲を出したインタビューだった。

1時間を少し越えた時間で彼は多くの話を吐き出し、その話はこれまでの変化を理解するのに重要なカギとなってくれた。
実際にテヤンは本当にたくさん変わった。
もっと素直になり、迷いがなくなっていた。
とてもたくさんの考えと悩みを楽しんでいた彼は、その間自らをもっと理解するようになっていた。

彼をこのように変化させたものが愛なのか、単純な時間の流れのせいか、よくわからない。

ひとつ言いたいのは、こんなに音楽が好きで、こだわりが強くて、行こうとする方向をいつも悩みながらもその道を揺らぎなく行っているアーティストが成長する過程を見守ることができるのは本当に嬉しいことだということだ。

ぎっしり詰まったパフォーマンスを捨てて、普段のスタイルと大きく違わない服を着て楽しそうに歌を歌う彼がミュージックビデオの中に、また舞台の上にある。

2014年、テヤンは2番目のアルバムまで来た。
「もう」ここまできた、としてもいいし、「やっと」2枚目まで、といっても構わない。
テヤンは依然として今以降の姿がもっと期待されるアーティストだからだ。







 
〜終〜
 

 
 
出典:
@http://foundmag.co.kr/391764
Ahttp://foundmag.co.kr/391822
(F.OUND 2014.7.15)




2014©Giroko. twitter@H_IROKO