G-DRAGON ロングインタビュー 全和訳

(翻訳フィルタ数種を使用し、読みやすいように意訳しているところもあります)




2013.10.16 Human Adrenaline "G-DRAGON"

インタビュー日:2013.9.11


前置き(インタビュアーの所感)は省略しています





Q:どう過ごしてましたか?忙しいでしょ?

活動を開始したのでとても忙しいです。
その前にはツアーをしながらMVまで撮ってたからずっと忙しく過ごしてました。


Q:正規アルバム第2集が出た気分は。

すっきりした気持ちです。



Q:コンサートで「クーデター」を公開した直後に、
「今回のアルバムは満足度が非常に高い。最もお気に入りのアルバムだ」と言ってましたよね。
あの意味は?


まず、最も最近のアルバムだからです。
準備も長くかかりました。
一曲一曲の完成度も高いと思ってます。
数合わせに入れたようなトラックは1つも無くて、全部タイトに作った曲です。
前回は僕が好きでもアルバムには入れられなかった曲もあったけど、今回はそうでもありませんでした。
だからそれらの曲が愛されたらとても良いと思います。
個人的に満足度が高いです。




Q:準備期間があまり長くないですよね?
「One of a Kind」が出てすぐにビッグバンとしてツアーを行い、続いてソロツアーをしながらアルバムを作ったのでは?


今回のアルバムは、ミニアルバムの前から準備してたので。
もともと去年がミニアルバルだったのは計画に無くて、正規アルバムができてなくちゃいけなかったんです。
あの時点でディテールを完成できなかった曲がかなりあって。
公開しても良いレベルの曲だけ選んだらミニアルバムになってしまっただけで、実際にはもっと多くの曲を作業してたんです。

「Runaway」 「WHO YOU」 「Window」 「ニリリヤ」
等は既にトラックが完成している状態だったし、「Shake The World」は2年も前から準備してきた曲です。
もちろん、今回の「クーデター」に収録してるの全部、何度も変化させた後のバージョンです。




Q:アルバムを出す度に宿題を提出するような気持ちだ、と言ってたけど、今回の宿題の提出は、ちょっと自信があったでしょう?

実際に終了する前ならそうだった。
(宿題という)言葉通り、『何が正解なんだろう? 』という悩みをたくさんしました。
あまりにも長い間準備していたアルバムだからそう思うのかも。
僕は僕、いつもこのように言ってるけど、人々には「僕」らしさを失ったと思われることもあるんですよ。
僕にとっては僕の音楽が凄く良いと思っても、人々が聞くとそうじゃない場合、その感覚を失ったんでしょう。

僕が良くしようと練りに練ったアルバムでも、結果的は出した物が評価を受けるでしょ。
元々そんな事にはこだわらないけど、今回はそれが悩みになりました。
もしもこのアルバムの反応が良くなく、チャート上でもあんまりだったら『あー僕はもう、意図的にでも大衆の好みに合わせた音楽をするようになるかもしれない」と思いましたね。
だから難しかったんです。
でも幸いにも僕が見る限りでは難しい曲も愛されてますね。



Q:難しいと思っていた曲はどれ?

「ニリリヤ」かな。それと「クーデター」も聴きやすい曲とは思ってなかった。


Q:容易ではないかもね。とっても遅くて重いビートですよね。

うん。だから、難しいと思いました。
今アルバム全体を見ても、大衆的な曲だとは思っていません。
それでもレベルがとっても高くなったよ。


Q:(レベルが高くなったのは)GDが?そうではなく、聴くほうが?

聴く人が、です。
ジャンルに対する理解が広がったと思う。
この歌はこのように聞くことができ、その歌はあのように聞くことができる・・・そんな方法をわかってるみたい。
それは本当に良いことだよ。



Q:良くできたルバムです。ディプロ( Diplo )との仕事はどうでしたか?

ディプロとはGD&TOPの頃から親交があります。
韓国に来るたびに会って、普段も友達のように過ごします。
今回のアルバムの作成を開始しながらビートを受けたくて。
もともと「Shake The World」は、ディプロのトラックに合わせて書いたものでした。
ディプロのダウントラックでした。


Q:ビートがとても早いですね。

思ったよりもはるかに早かったんですよ。
そのビートに歌詞を書いてみたけどわからなかった。
そんなにこだわってばっかでなかなか終わらせられない状態だったので、ティプロがそのトラックを他の人にあげてしまいました。
僕とは縁の無い曲でした。
最終的に 「Shake The World」 は宙に浮いてしまいました。

その後、ディプロがバウアー( Baauer )に再度トラックを送った頃、
当事”Harlem Shake ”が流行った直後だったので、それに似たトラックが届きました。
でもそれが、とってもヒップホップだったんです。
すごく気にいって、 「Shake The World」 に合わせるために最初から作業をやり直しました。
トラックが非常に強い感じだから、最初に聞いたときに思いついた言葉が ”クーデター”でした。
最終的に「Shake The World」は、後で個別に作業しました。ラップメイキングも何度もしたよ。



Q:今回のアルバム作業中、3日間を昼夜スタジオで過ごしたという噂を聞きました。どんなトラックがその中で煮詰まっていたんですか?

特別どのトラックが、ということではないんです。
アルバム発売がずっと延期となっていたでしょ。
実際、今日だって出せてない。
( 今日=9月11日、GDのアルバムは9月13日に正式発売される)。

その理由は、仕上げ作業が整理できてなかったからなんです。
延期され待っている人々も大変、僕も大変だった。
あとほんの少しだけだと思っても、作業してご飯食べてスケジュールこなして・・・ってしたらすぐに夜12時や翌日午前1時になり、 結局スタジオで作業できる時間は4時間くらいしかなくて....
こんな日々が何度も繰り返してたら、ダメだスタジオから出るのはやめようって。
だから、パジャマを持って来てスタジオで寝て、会社でご飯食べながら、作業また作業をくりかえしたんです。
それでどうにか時間も短縮された。




Q:今回のアルバムに一緒に作業した人々の中では、テディと一番長く作業してきたの?
今はGDのポジションが変わったから別のシステムかもしれないけど今回の作業はどうでしたか?
アルバムのクレジットには特にテディの名前がたくさんありますが。


今回変わったということはそんなになくて、むしろ前よりもテディ兄貴が韓国に滞在するようになって変わった点はあります。

(テディが)アメリカにいた頃にビッグバンの 「Always」 や 「Remember」 作業するときは、テディ兄貴が全て作っておいてくれれば 僕たちはラップの歌詞を書くくらいでした。
少しずつ電話して、ウェブ上で話しながら進めましたが、
僕はテディ兄さんと一緒に作業するのがひたすら良いと思いましたね。

僕自身の作業をしながら、兄さんとより多くの仕事を始めたんです。
その時は僕もやはりプロデューサーという名前を前に出すためにたくさん努力しました。
テディ兄さんが「こーゆーのどう? 」と一つ投げてくれれば、僕が作ってテディに聞かせ、彼がアドバイスをしてくれるようなシステムが変わったんですよ。
今は共同作曲家、という感じがしています。
家族よりもよくいる人だから、とても親しくしたりして一緒に曲をたくさん作っています。

もちろん、依然として僕にはまだ、精神的には兄です。
やってもいいこと・悪い事を第3者の立場でかっちりつかんでくれています。
そのような目があるので、僕はラインを越えたり超えなかったり、その中心を維持しながら作業することができるのだと思います。

最近では兄とトラックを一緒に書いた後、ディレクティング自体を僕がするようになりましたが。
以前はディレクティング済みの仕事を再び兄さんに聞かせるのもとても緊張しましたよ。
今はそのような仕事をしすぎたせいか、曲を終えた時、お互いの仕事を気に入っている場合も多いです。
パートナーという感じで頑張っています。
もちろん、依然として僕がたくさん兄から習っています(笑)


Q:アルバム発売前に  「ニリリヤ」 をミッシーエリオット( Missy Elliott )と一緒に公演しましたよね。
ステージの準備をしながら、どのような話を交わしましたか。


思ったよりもミッシーが照れ屋で、表情もたくさん選り分けます。
舞台やラップを見て非常に突きつけるられる性格であると思いました。
とても静かで、よく笑うスタイル。驚きました。

公演を控え、アメリカに到着するとすぐに会いに行きました。
舞台のためのアイデア会議をいくつかしようとしたら、ミッシーはスタッフをすべて部屋から追い出すんですよ。
本当に僕とミッシーの2人だけになって意見を交わしました。
身近な人達にも、その過程は公開していません。

ミッシーは、あなたの曲だから勝手にやって、と言いました。
私があなたに合わせて応じて行くから、と言うので僕にはそれがすごく負担でした。
コレコレをこうしてほしい、と話をしたところ、
「わかったわ、まずはホテル戻って、眠りなさい。私がダンサーたちと合わせておくから。あなたは後で見に来て。」
・・・と、こんな事を言うんです。
アメリカに入ってすぐにミーティングをした僕の姿が、とても疲れているように見えたみたいです。
次の日に行ってみるとダンサーたちがたくさん合わせてくれてて舞台に上がることができました。

一つ驚いたのが、舞台裏や練習室ではそんな様子のミッシーが、リハーサル舞台では爆発的に変貌するんです。
マイクを握れば昔のようにパワフルなんですよ。

実際に舞台に関する話だけじゃなくいろんな話を交わしました。
ファンだった、好きだった、こんな事はもちろん言いました。
まあ、本当にファンだったから。


Q:そうだよね。放送を見ながら君の昔の姿を思い出して本当に胸がいっぱいになったよ。

僕もそうでした。
すごく胸がいっぱいです。
ずっと記憶に残ると思います。





GDとのインタビューは、彼が「Mカウントダウン」の事前録画を進行最中の夜遅くに行われた。
「クーデター」 「BLACK」 「CROOKED」 など3曲の収録を行っている間、僕はその都度録音機材をつけただろうし、そのたびにGDは、メイクアップを受けて、衣装を着替えて、髪型を新たに手を加えていた。
騒々しい控室の状況では真剣な話ができないかもという心配をしたが、幸いにもGDの答えは、短いか、軽くなかった。
依然として音楽の話が出るとキラキラと話す。
彼が収録のために控室を去った合間を利用して、僕は軽い質問はすべて消去してしまった。
真剣な質問についてくるネタを使うほうが良いと思ったからだ。

幸い僕の頭の中には、これらに関連するまだ公にせず寝かせておいた話も多かった。
その中には、今年3月ソロツアー開始直前に行った記者会見での記憶もある。
初のソロコンサートと、セカンドソロコンサートの違いを問う質問に、彼は 「初のソロコンサートの時、僕はアイドルだった」 と答えた。
ある程度の予想はできたが、直接その理由を聞きたかった。
だから、再び尋ねた。



Q:「あの頃はあまりにもアイドルだった」と言ったのは何か理由があるの?

今ソロツアーを終えてからはまた違った感じではあるんですけど。
4年前の最初のコンサートは、アーティストとして舞台に立ってるつもりはなかった。
その後もみんな、心地良い言葉で僕に修飾語をつけてくれたが、
僕の中に"アーティスト"と言うのが確立されていない状態でした。
過渡期といったらいいのかな?
アーティストを夢見るアイドルだから音楽を続けている、それが正確でしょうね。

そうするうちに音楽を作って、舞台を準備して、公演をしていたけど、それでもそのあいまいな感じが消えなかった。
ビッグバンとしてのツアーをしながらたくさん感じたが、今回のソロツアーはアーティストとして舞台に上がってツアーをしたという自信を持っています。


Q:どのような変化があったから?

アイドルのコンサートにはいくつかの型があります。
パロディーモノが無条件としてあったり。
公演の合間に笑わせるようなことをする事も多い。
女装をしたり、先輩歌手の歌を笑わせるように歌ったりね。
ファンは、面白いとか好きだとか言ってくれるけど。

ある時期、「これじゃだめだ」という気がしたんです。
僕だけじゃなくて他のビッグバンのメンバーたちも同じでした。
僕たちは(他のアイドルと)同じようにする必要はない。
この公演の内容を持って外国に行ったとき、そこ(外国)の人々は理解できないでしょう。
字幕で説明をしても限界があります。


Q:理解できない情緒ではあります。僕も理解していたが(笑)

理解の必要は無いです。
僕たち自身、最初から最後までカッコイイでいいんじゃないか、という気持ちが既にありました。
外国のアーティストたちの公演を見てください。
楽しいとかかわいいとかいう要素無しで、最初から最後までカッコイイでしょ。

僕ら自身もこのような面で大きく変わりましたね。
コンサートの舞台を準備しながら、世界的に有名な監督を使った理由も、このようなことを学びたくて、でした。
この人たちが外国人アーティストとどのようにショーを完成させたのかを学ぶことができるだろう、 僕たちに何が足りないかを知ることができる、そう思いました。
学び、学び、また学んで、今回のソロツアーをしながら、実現したことがあります。

というわけで、最初のコンサート時にはどうしてもアイドルとしてそんな感じが強かったと(記者会見で)言っていたのです。
その世界の中で生きていたからです。


Q:その時は音楽そのものよりも、他のエフェクトに集中していたようなことはあるね。

うん。あまりにもエンターテイメント的だった。
もちろん、今もエンターテイナーとしてステージに上がるけど、あの頃はバラエティショーって感じだったかな。


Q:1人でワールドツアーを回りながら多くのことを考えてたんだね。

ビッグバンでワールドツアーした時からたくさん感じました。海外のステージは違うと。




数年前にGDと成功について話をしたことがある。
その時彼は 「ビルボードには興味がなくて... 」 という言葉を通り過ぎるように呟いた。
意外だった。
デビューと同時に、韓国とアジアで最高の人気を手に入れたアイドルスターの口から出た言葉なのでなおさらだった。
欲がないのか、それともあえて冒険をしたくなかったのか僕には知ることができなかったし、理解できなかった。
今になってその理由を尋ねると、彼はこう言った。

「ビルボード、上がれば良いと思う。だけどそれを意識した音楽はしません。
韓国でもどこかの1位を得ようとしてやってる音楽ではない。
1位は良いことだし、ビルボードに入るのも良いことでしょう。
好きじゃない人なんていないですよね? 」


そう言いながらまた、どうだっていいというように無関心に答えた。

今では世界がより近くなり、それだけにアメリカ進出は、夢のような話ではない。
彼のOne of a Kindツアーのクリエイティブディレクターであるステイシー・ウォーカー( Stacy Walker )とトレビスペイン( Travis Payne )は

「GDの曲で” Heartbreaker”と ”MICHI-GO”のような曲は、
アメリカの市場に持って行っても成功に値する。
GDの音楽は、体を動かしたくなる力がある」


とアメリカ進出を積極的に評価した。
そのツアーを終え、ミッシーエリオットと一緒に舞台に上がり、ファレルウィリアムズ( Pharrell Williams )から作業の提案を受けたGD 。
長いあいだ着実にアメリカ市場に参入するために努力してきたYGビジネスの実質的な受益者はGDになるという予想ももう難しくはない。
GDのようなアーティストが所属する会社としてYGも新たな成長期を迎えており、GDもその相乗効果を堪能できるだろう。
GDは 進出は別に・・と言うが、それでも行って学び、感じて、見て、示すことは良いことだと言った。
今までしてきたことの延長線、今当然のこと - これが彼が望むアメリカ市場進出の立場である。





Q: アメリカ市場進出のための準備をしてるようだけど、多くの点で?

これといってそうではありません。
ステージにあがる用意はできてます。
しかし、言語が正確ではなければいけないのに、そうでないからです。
音楽も、その国の言語に全部することが最初の準備だと思うのですが、それが不足しています。


Q:音楽の中なら言語がなくても平気じゃない?

サイさんの場合、英語が上手だからこそ他の多くの機会を得たんだと思います。
うーん・・・サイ兄さんの場合のことはよく分からない。
韓国的なものを持っていくのが当たるんだとは思います。

だけど、音楽というのはちょっと聞いてっていう事じゃないでしょ。
歌詞の面白さがあって、その歌詞が愛についてなら、状況に応じて慰められる人もいるでしょうに、そうではなかったら?
最初は新鮮に感じる事はあるでしょう。
しかし、音楽的に何かを伝えなければならないのがアーティストの仕事ではないか?
音楽を聞くとき、歌詞的な部分も受け入れないといけないって思います、僕は。


Q:そういった点において準備ができないというのですか?

まだもっとたくさん準備しなければならないと思うんです。


Q:PSYの成功を見て、どのような思いをしましたか。

うわー、こんな事もあるんだって、不思議でした。
サイ兄さん自身も不思議な気持ちだったと思います。
やろうと思えば、このような機会が来たりもするんですね。

当時は今ほど世界的なヒットソングがなかったし、音楽シーン自体が退屈でした。
人々は、あまりにも多くの音楽が出てくるから聞いて学ぶ事も疲れてきていました。
そんな中、言葉が通じなくても聞いて楽しく遊ぶことができる'マカレナ'のような'江南スタイル'が愉快な楽しみをくれました。
それが音楽の力なのでしょうが、すばらしいと思いました。


Q:GDのすべてが話題になるといっても過言ではありません。
スターとして大衆と疎通し、どのような責任感や道徳心を持つべきだと思いますか?


今は、ある程度はそうしなきゃと思ってます。
もっと幼い頃に起こした事ならば、幼いからという理由で解決できただろうけど、もうそんなに若くない。
今日の音楽番組(※この日はMカの収録日)ではアイドルの中で僕が一番先輩じゃないですか。
ああ、僕は先輩なんだから、みんなが見るに大人なのだとすれば、
それに合った品格は守らなければならないと思ってます。


Q:上品、良い言葉ですね。

その代わり、音楽的に守るつもりはありません。
音楽では好きなようにするけれど、普段は模範的な姿を示すべきだというのがいいです。
韓国だから。外国はどうなのか知らない。
とにかく韓国ではそのような事が影響を多く与えるでしょう。
僕自身も知らないうちに、僕はすいぶんく大きくなったようです。
人々を見る目線や視覚のようなものが変わりました。


Q:どのようなきっかけがあるのですか?

見守る立場でも、ふと”GDにあんな姿があったの? ”と思った瞬間が最近何度もありました。
それは一、二歳ずつ消化していくことではないんでしょうか?
別にどこで学んだか、どんなことに変化があったか、ということはありません。
年齢とともに感じて、変わってきています。
似ている人に会っても、他のものを感じるように自然に。


Q:そのようなものが内にたまって表面でも見違えて見えるようです

はい、おそらく。少しずつ違ってくると思います。


Q:ビッグバンのリーダーとして、GDはどんなリーダーですか?

中では大変なリーダー、外から見れば良いリーダー。これは以前の自分の姿です。
メンバーたちに情け容赦無くすればするほど、外から見る姿はずっと整理がされているのだから、それでそうだったと思います。

今ではみんな一緒に年をとりながら、他の分野のキャリアを積んでいますよ。
しょっちゅう会うのは難しいけど、実際に会った時、アーティスト対アーティストとして接する感じ。
リーダーとしてチームメンバーと作業するという感じよりは、コラボレーションをするという感じです。
だから、仕事をする時もメンバーたちに何をどうだというよりは、楽しくお互いの意見を合わせてきます。
外から見たらどうか分からないけどね。とにかく変わることは変わりました。


Q:最近スンリもソロで活動をしました。勝利サイン会にこっそり行ってきたと聞きましたが、
なぜ行ったんですか?しかもなぜ密かに?


元気無いみたいだったから。


Q:それで勇気を与えれましたか?

気力を持たせたというよりは、気持ち良く驚かせました。
スンリは、ソロ活動の仕上げ段階で、一方の僕はちょうどカムバックする状況だった。
だからスンリのほうは相対的に少ない数のスタッフが行き、そのほとんどは僕のトコに来ています。
このような事がいくつか気に障ってたのかなって、スンリには。
そんなこんなで心が疲れているようだったから、わざわざ時間を作って行ってきました。






Q:その話を聞いて思ったのが、GDが前より豊かになったな...

たくさんね。
これまでは前だけ見て走ってたけど今は後ろを振り返る余裕もできたと思います。
人生においてもそうです。生きていくのにも余裕ができました。


Q:作業、放送、公演、その間の時間を割いて書いて忙しい日々も、今では適応になったのようですね。

確かに。もう何年目かですが。


Q:ビッグバンのデビュー以来、本当に多くのアイドルグループがデビューをしました。何が、ビッグバンをビックバンにさせますか?

舞台がビッグバンを作ります。
ビッグバンとしての場合じゃなくても、それぞれの活動に出てくるいくつかの魅力があるだろうけど、 ビッグバンとして舞台に立つと、自ら感じるあらゆる大きな違いがあります。
「なんか」としか言えない力です。
お互いが異なり、その違いが長所になると思います。
その利点を磨きながらビッグバンとしての頂点に上がるつもりです。

今はそれぞれに活動しているが、ビッグバンで一緒に舞台に上がったときのエネルギーはすごいんです。
そのエネルギーが"ああ、ビッグバンだ! "という印象を人々に与えるようです。

僕一人で大規模なツアーを終え、今回のアルバムが大ヒットが出るといっても、ビッグバンに戻ると、前のすべてのことを忘れることができます。
そんなところが、ビッグバンが他のアイドルグループと違う所なのでしょう。
大衆的なパワーも生じます。ビッグバン五人が立てばこそ示せる可能性があります。


Q:8年が過ぎました。ビッグバンはどのくらい長続きできると思いますか?

うーん...わからない。
ずっと長続きしたいけど、人のことはわからないじゃん。
いくつかの解決すべき問題もまだあるんです。


Q:問題?何か問題がですか?

まだ軍隊に行っていません。
その問題がどのようになるのか分からないです。

また、それぞれが開始したソロ活動も、より一層腰を据えてやっているでしょみんな。
以前はビッグバンでいなければいけない人々だったけど、今は率直にビッグバンがなくても生きていける力を持っている。

このような状況の場合、各メンバーがどれだけビッグバンに気を注ぐのかがカギになると思います。
着実に心を注ぐことができれば、より長持ちするだろうし、そうでなければ、他のアイドルグループが解散するようにいくつかの他の問題達と一緒に編集されることもあるでしょう。


Q:非常に現実的な話ですね。

幸いにも今のところは全く問題がありません。
しかし、今後3 〜4年さらにつきあってみてこそ、僕たちの未来が見えると思います。


率直に言えば、 GDの今回のアルバムはビッグバンへの道をより大変なものへとすることもできると思いました。
過去のアルバムは ”ビッグバンのリーダーが出したソロアルバム”だったがが、今回のアルバムではGDはソロアーティストのレベルにぱっと上がりましたよね。
Q:軍隊に行くとかいう外部的な問題ではなく、 GDがソロアーティストとしての道を行くつもりなら、 それこそチームの運命に決定的な影響を与える可能性があるのでは。


僕はそのようなことは心配していません。
メンバー同士の嫉妬がすごく多いんです。
他のメンバーがどんな事をしたのかと、その達成のための他のメンバーたちの嫉妬がある。


Q:GDが多大な影響を及ぼしたでしょ、そういった点では。

僕がこのようにしていること自体がメンバーたちに見せるためのものでもあるから。
僕が今このようにしているでしょ?
次のアルバムを出すメンバーも、あるいはビッグバンにでも"以前のものに勝つ"というモットーが内部的にあります。
販売量のような数値で勝とうということではなく、最も近い人から認められたいということでしょう。

ソロコンサートするとき、誰が見に来てくれても構わないけど、ビッグバンのメンバーたちが見に来ると知れば、その日は緊張します。
同じように舞台に上がる友達だからすごく気になる。

僕はソロステージに上がるとき、僕自身が最高だと繰り返し重ねて言うんです。
"僕は最高だから誰が何と言おうと関係ない"という考えを自分自身に注入するのです。
それでこそ舞台では最高であるように振る舞えるから。
でもビッグバンが元々そのレベルでも全く同じです。話が変わります。
僕は最高だが、メンバーみんなも最高だ。
だから一番緊張するし負担にもなります。
一番近い存在だけど一番恐ろしい?


Q:お互いの過ちを最も直接的に指摘できる関係だからなんでしょうね。

そのとおりです。
他の人が良いと感じる事ができないもの又は感じても口には出せない事でも、お互い指摘できるからね。
僕もやっぱりそうです。


Q:来月カムバックが予定されているテヤンも負担になることが多いようです。 (笑)

病んではいませんが信じられないほど歯ぎしりしているでしょうね。
スンリも、僕もそうだった。非常に良い刺激です。
僕たちは他のチームよりも優れていることがあるつもりです。
実際に他のチームはどうか知らないけど、僕たちはサバイバルを通じて習慣のように競争心を身につけています。
歌手としては良い習慣だと思います。






Q:そういえば前にソ・テジのようなアーティストになりたいと言ってたのを覚えている。今はどうですか?

なりたいか、ですか?


Q:既にそのレベルに来たと思います。いくつかの点でよりよく。

比べるような事じゃないかも。
僕はこれからロックスターになりたいな。


Q:ロックスター?

本当の「ツアー」を回るの。
僕がコンサートを開けば、非常に遠いところに住んでいても、充分なチケットの値を出して行くに値する理由になりたい。


Q:今もそうでしょう。

まだまだですね。
今はワールドツアーといってもアジア以外にはLA 、ニューヨーク、ロンドンくらいしか行ってないじゃないですか。
より多くの場所に行き、より多くの人々に会いたいです。
そのように世界中の人々が見に来ることができるロックスターになりたい。
以前はラッパーだけになりたいと思ってたけど、今はラップをするロックスターにならなくちゃと思ってるんです。


Q:さて、それではまずコンサートをもっと開催して長いツアーをしなくちゃね。

そうですね。


Q:もっとツアーをしたらいいのに、ここであまりにも忙しいのが惜しいですね。もちろん必要なことですけどね。後で振り返ると、今のGDはどんな言葉で記録されるといいかしら?

破られない記録を持っていられればいいな。
次の世代にそれを破るの友人が出てこないといいな(笑)
文化の発展のためには、壊す友人が現れればこそ、見る僕も楽しいけどね(笑)
サイ兄さんを見て『ああ、あの記録は僕には破ることはできないな』と思うように。
マイケル・ジャクソンのような伝説に分類されるアーティストたちが、彼らだけの何かを持っているように。
僕にもそんなことがあったらいいなと思います。
僕のキャリアが多くの人々が見たときに納得して認めてくれるようになれればいいなと思います。


Q:GDのようなミュージシャンは、努力すればできると思いますか?

じゅうぶん可能だよ。


Q:持って生まれたものがあるだろうに?

それなら、より多くの努力をすると良いでしょう。
最近サバイバル番組が多いでしょ?
欲が僕よりも多い子供たちがいます。十分に努力さえすれば可能だと思います。
しかし、僕には食、努力、時間はなくて'運'がついてました。
非常に多くのことが非常によく合致していた。
僕が今すぐサバイバル番組に出たら、落ちるよ?


Q:ハハハ。

本気で、僕が今まできたことを振り返ったらね、
8年という時間の間に、僕は徹底的に作り上げてきたイメージ、実力、食、ある程度好感を与える外観、 そして人々が見ても納得することができるいくつかの強さと、YGというバックグラウンドによってこのようなグループになったのだけど、 さらに運までもが大丈夫でした。
多くの点がうまく合わさったんです。
僕がもし今すぐ自分のすべてを捨てて、サバイバルのサポートをしたら?
僕が見るには、よくやってトップ10にいくだろうか?そんな自身もありません。
だから、僕よりはるかに上手な、素晴らしい後輩たちが出てきたらいいですね。いつになるかはわからないけど。


Q:そんなサバイバル番組を通じてスターが作成されることができると思いますか?

率直には、いいえ。
だけど、レベルは確かに高いんです。
まあまあ良い。
ただし飛びぬけて上手な子はいないんです。
そのような突出した何かを持っている人は、既にどこかで何かしているだろう。
そうでなかったら、何かをするために、歯ぎしりしているとか。
生まれたときからそのような人々がいると思います。
僕は六歳からダンスを踊りました。
12、13歳くらいのから始めた子供たちは、それよりも若い時期に才能を見つけたものとは別の道を行くしかありません。


Q:最近YGが【WIN】という新しいサバイバル番組を開始しました。同様のプロセスでデビューをしたので感慨もひとしおでは。

ビッグバン以来、初めて出てくる人の新人グループだか良くなることはいい事ですが、まだ下手で心配です。


Q:アドバイスを多くする方ですか?

はい。最小限尋ねてくる事は全部応えるほうです。
僕がその立場だったときにとてもよく覚えているんですよ。
私のすぐ上の先輩がドンウク兄貴(SE7EN)でしたが、ドンウク兄さんがホントに全部用意してくれました。
食べることができないと、肉も買って食べさせてくれながら。
そういうことを受け、僕はここまできたので、僕も少しでも後輩たちに激励をすることができる言葉を言えたらと思います。






Q:怖い先輩だろうなと思ってた(笑)

まだまだ怖くないです。
そうしなくちゃいけない状況であればそうすることが自分の役割ではあるよ。
期待されていますが、もう少し期待できるよう、子供たちがよく作ってくれたらいいですね。
今のところは、ビッグバンの次に出るチームという興味を持ってもらえてるだけで、実力的には期待を導くに至ってないです。


Q:君も普通の男たちが見ているような夢を見ますか?

普通の男性ってどんな夢を見るんだろ?


Q:んー、結婚をして自分の家族を持つ、みたいな?

確かに。
ビッグバンのメンバーたちともたくさん話ますよ。
僕たちの中で、誰が最初に結婚するだろう? そんな話を。
女性の話も同じようにたくさんします。


Q:GDに会うと言ったら、FOUNDの同僚達が普段のGDは何をして過ごしているんだろうと言ってる (笑)

ご存知でしょ?全く一緒です。


Q:スタジオ、家、家、スタジオ?

うん。
それでも今はお酒を嗜む事もちょっとわかってきて、時間があればお酒も飲んだりするけど。
更に時間がある場合は映画を見たり、短いけれど旅行にも行ったりしています。


Q:本当に大変な時なので、仕事で何もできない時はどのように解消しますか?

おしゃべりします。
作業をほったらかしてテディ兄と12時間騒いだこともあります(笑)


Q:君の人生の次のページにはどのような話を書くことになるだろう?

次のページでは、もう少しスケールが大きくなると思います。
これまでは韓国とアジアだったから、次のページではより大きな背景のより多くの物語が展開されるのでは?
さっきの話に出てきたアメリカやヨーロッパの方にもより深く行くと思います。
音楽、舞台でより多くの場所に行ってみたいと思います。




この日の録画の最後のプログラムであった 「CROOKED」を控え、 GDはセックス・ピストルズ( Sex Pistols )のTシャツにフィットするブラックパンツを着ていた。
楽しく走る反抗的なパンクロックのイメージを持っている「CROOKED」は、不思議なことにメインストリームの中心にあるGDと非常によく合致する。

元々善良なアイドルと距離感があったのは、彼のひねくれて危険なイメージが歌から伝わる気持ち。
GDは、映画”トレインスポッティング”のような感じの曲を意図して書いたのが「CROOKED」だと言った。
ステージに上がった彼が "空にツバ吐いてやる "という歌詞を叫ぶとき、僕は痛快な気分になった。
彼の写真コレクションの展示会【Space8】が行われた清潭洞のギャラリーで「ニリリヤ」が出てくる時もそうだった。
ミッシーエリオットとGDのラップパートが始まる前に、民謡「ニリリヤ」が出てくるとき、 僕は定型化された僕たちの大衆文化を嘲笑し、ある程度その枠組みに閉じ込められているような自分が恥ずかしくて、その心を言葉にしなかった。
「クーデター」でGDは、自分の枠を解散しただけでなく、それを見、聞く人にも卵を破って出てくるように常に扇動し、刺激していた。

GDを眺める視線は、依然として両極端である。
今回のアルバムを、これ以上新しいGDはもう無いという評価もあり、音楽的な成長に大きな拍手を送る人もいる。
この間、 ”SNLコリア”のユ・セユンがGDをパロディーした姿を思い出してみると、 まだ彼の音楽や行動を理解しがたいという様子。
しかし、一つ、今回のアルバムで彼はいくつかの予想とは違って、 明確ではないがアーティストの道に入ったという点だけは語っておきたい。
どんぐりの背比べのような、そこそこのゲームはもう、GDがする事はないだろう。
彼は大胆になることで、よりパワフルになるだろう。
より大きな舞台で、より賢く、よりナナメに、より優雅に。
(終)



出典:
 Human Adrenaline G-DRAGON
   Part1 http://foundmag.co.kr/319924
   Part2 http://foundmag.co.kr/319960


2013©Giroko.